過去の遺産(1)
人は過去をすべてたずさえる。過去の一瞬、それぞれを。これまでに、自分は何と多くのものであったことだろう。子宮の中から今このときまで、自分は何百万の人格であり、それらすべてが自分の中に、何層にも重なってたずさえられている。成長しても、それはそこにある。頭の中だけではなく、それは体の中にさえある。
和尚の云う過去とは生れてから今までに引きずってきた過去の記憶である。たとえば子供の頃に理不尽なことで誰かから叱られて、それに対抗して何も言えなかった自分がいたとしよう。そのことは憎しみとして、あるいは何も反論できなかった自分自身への怒りとして心の片隅に記憶される。そのときの傷は、大人になった今でも、何らかのきっかけを通して繰り返されるというのである。
もしも、その時に言いたいことがきちんと言えたなら、その後には嫌な記憶としてそのことは残らない。
「それは体の中にさえある」というのは、たとえば相手に対して怒ったときにその感情を表現しなかった自分がいたとする。その自分の怒りは体のどこかにしこりとして残る。そのしこりが体の変調を引き起こすのである。
和尚によると感情的なものは相手にぶつけて表現したり、抑圧したりしても解消しない。それはその感情を意識的に理解することで解消するのだという。ここのところは別に詳しく説明する機会を待とう。
相手に怒りを表現すると、今度はその怒りによって相手がしこりを残すことになり、その発散のはけ口をまた、他の誰かをみつけて求めることになってしまう。
感情を抑圧することは、自分のこころや体にしこりを残すことになり、同じような状況を何度でも引き起こし易くなり、その状況は本人がその傷口を解消するまで続いてしまう。
何よりも、感情の抑圧は、その人をその段階で成長をストップさせることで一番良くないことなのである。子供の時に受けた傷は、大人になった今でも時々顔をのぞかせ、そのひとを子供がえりさせたり、幼稚な行動を起こさせる原因になったりする。
最近は、催眠セラピーなどにより、そのひとの心の傷の原因となっている子供の時の場面にまで退行させて、過去の自分を慰め、受け入れて感情をはけ出させるというのがある。
これはその人の今では記憶となってしまった過去の感情に対して、気づかせて、それを開放してやるというものである。
感情を意識的に理解することは大切である。その心の傷の原因となっている感情を冷静に見つめさせる作業によって、その時の怒りや憎しみなどのエネルギーは解放され、自分の中から消えていくのである。
これらは単にひとつの例を示したに過ぎないが、人は否定的な感情を幾重にも蓄積させて、子供のままに取り残された自分を大人になった今でもたずさえているというのである。
これが人の成長を阻むだけならいいが、人の心の病や、体の特定部分の病気の原因とさえなっているから、やっかいなのである。
太字:「そして花々が降りそそぐ OSHO(市民出版社刊)」より引用。
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