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2009年5月17日 (日)

日本人と自我(2)

日本人の自我(2)

今日では、政治家や官僚の度重なるお金に絡む不祥事が日常茶飯事になっている。また企業のリストラや、非正規労働者の使い捨て、介護制度の形骸問題など、同じ日本人かと思えるほど、格差社会が拡大してしまっている。このことは何を意味するのだろう?

その前に、日本人の意識がどのようにして変移してきたかを知ることによって、私たち一人一人の向かうべき方向が見えてくるかもしれない。日本人の一人として、私たちがどのような日本的な風土や文化の呪縛にとらわれているかを冷静に見つめ直すことによって一人一人の意識の何かが変わっていくことを希望する。かくいう私も、日本人という枠組みをとらえ直す作業によって、私たちの心の中にある良識を見いだす手がかりとして、自分自身も何かが見えてくることを願い、「日本人と自我」について、深く掘り下げてみようとするものである。

 

 日本の社会は今日においても物質文明の発達した割には、公的な場での精神文化の発達が遅れた社会である。それは、国家の一員であるという公的な立場と、私的なプライベートな個人であることの区別の自覚のなさからみてとれる。身近な例では、外国の会議の醜態で報じられた日本人大臣の一例からも察するところである。しかし、そのことは、自分はどうであろうか? とそのことは同じ日本人として、危機感をもって問題提起されているのである。

 日本という国は天皇を中心とした家族国家であり、公的なものと私的なものとが混然一体となっている。もともと日本という国は、母系社会であり、その社会の特質は「運命共同体」的な個人以前の自然集団的な農耕民族として生活し、その中での個人とは、全体のなかでのみ位置づけられ、価値づけられる存在であった。戦前の大家族制度では、個人としてのわがままは通されず、常に「家人」としての規範に基づき行動をするのが常であって、「家」に泥を塗らないような個人の行動がそこには意識されていた。従って、他律的ではあるが、道徳律の基本がそこには存在し、封建制度的な家長父の云う事が絶対的な権限を持っていたとされている。

戦後、家族制度は、核家族化へと向かい、いわゆるマイホーム主義へと変貌してきた。核家族の特徴は、父親は外で稼ぎ、家の家事や子育て、教育は母親に任せるといったものである。父親は、家族的な企業への忠誠を尽くしてせっせと働き、家では母親が自分の主となった。そしてこの頃の夫婦間に至っても、お互いを高めあう上でのコミュニケーションというものがなかった。

 政治家が国民の税金を自分の家族や親族のために平気で使うという心情は、公私混同からくるものである。そこには公私混同し易い背景がいくつかある。

そのひとつに、日本人は国家を中心にした家族国家であると同時に、血縁や自分の所属する団体や企業、地域集団の一員であり、そこには個人がその集団と未分化な状態にあるといった問題がある。三世代議員というのも、身内だけによる利益享受以外の何物でもなく、そこでは個人の理想、能力などは度外視され、それぞれの集団エゴとして、身内には甘いという心理的な特色がある。というのも母系社会の特質と同じである。母親が自分の子供は、たとえ悪いことをしようとしまいと皆、平等にかわいいと思うのと同じ心理である。また、母親の溺愛が、子供の自立を阻害し、個人として自分の意見を持たない、自我の未熟な大人を世に送り出してしまうのである。それでも、日本の社会では、イデオロギーの対立など、主義主張の異なる者どうしの議論を戦わせる場が少ないので、それでも何とかやっていけるのである。それはつまり、自分の所属する集団エゴの中にいて、忠誠を尽くしさえしていれば、周りがそれを支えてくれるという仕組みになっているからであり、年功序列型の社会であるから、当該ポストでやっていく能力がなくても、できるひとが陰で段取りをとってくれているのである。そのようにして今までの日本の社会は母系社会そのものであり、国際社会の厳しい現実と向き合うことさえしなければ、なんとかやっていけたのである。

戦後日本の工業を中心とした急成長も、この家族的な企業戦士の育成が成功した一例である。しかし、時代は今、転換期を迎えているように思われる。

日本の急激な経済発展の一方で、核家族の暗い一面を見落とすわけにはいかない。対等なコミュニケーションの相手としての夫、すなわち共に成長し、子育てする担い手としての主を失った妻にとって子供は自分の思いのたけをつぎ込める唯一の存在であった。そのため、否定的な母親の欲望の犠牲になった子供たちがいた。自分ができなかった夢を子供に託す母親や、今でもある育児を放棄してしまう母親などによって、子供への十分な愛情が示されずに育った子供たちが次第に増え始めた。(戦前や戦時中に至っては、子供たちは、心理的な飢餓状態というよりは、親を失って愛情の示されない親戚にたらいまわしにされた子供、物資に不足し、必要なものさえもあまり与えられなかった貧困な子供たちが多いという現状だったという。)

この愛情不足によって育てられた子供たちが、次世代の親となるとき、その悲劇はくりかえされていく。社会の治安が悪化していく原因のひとつになっているものと思われる。

 他方、この頃から、政治家は自分たちの権力や利益を追求するために、一部の企業とけったくし、高度成長時代を経て集団エゴを肥らせてきた。本来、国民の公僕であるべき政治家が、自由民主主義というみせかけのイデオロギーを掲げて、単なる利益追求団体になってしまったことは母系社会の成り行きの果てであった。それに輪をかけて単独政権が長く続いたことによって、国民生活との生活水準のかい離がさらに広まっている。

その一例として、最近麻生政権が掲げている中流家庭を中心とした、中福祉、中負担国家の実現の裏には中流以下の家庭を切り捨てるといった懸念がつきまとっていることが挙げられる。

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投稿: hikaku | 2009年5月17日 (日) 15時59分

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