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2009年5月10日 (日)

日本人の自我(1)

自我の確立とも言われるように、人間は自我を確立してこそ一人前などと言われる。

もともと、「自我」という言葉はキリスト文化圏のヨーロッパで生まれた。私が最初に自我という言葉を知ったのはデカルトの「我思うゆえに我あり」だったように思う。

自我という概念は、西洋では個人主義へと展開し、人間が個人としての自分の意志や欲望を明確に表すことが良き事とされるようになった。しかし、その一方では自分の意思決定によってなされたことには自己責任がつきまとう。よく、何々をする権利とか云われるがその権利の行使の裏側には義務もある。したがって自分を主張するからには、その結果においては全て責任を自分で負うのである。

「自我」という概念は近代民主主義の発展とともに、個人の自由意志というものが尊重され、産業の発展に伴って必然的に個人主義として実を結んだ。

もともと、西洋の個人主義は、キリスト教の神との関係において成立するものである。キリストの父なる神との契約により、個人の自由意志が保障され、自由意志に基づく行為には責任もあった。それは、神が自己の行為を監視し、生前に良い行いをしたかどうかが審判にかけられるというものである。

我々日本人はこの西洋文化圏の個人主義の表面的な面だけを取り入れてきたように思う。

そもそも、仏教圏である日本人にとって、この個人主義というものはなじむことのできないものである。

日本はもともと天皇を中心とする「家族主義」の国である。日本の家制度は、一家の家父長制度であり、家長である父の意志がその家の法律であり、そこには絶対の権力があったとされている。しかし、第二次世界大戦による日本の敗戦とともに、この制度は崩壊した。

しかし、戦後も企業の終身雇用制度や、学会の派閥など、それぞれの場所と活動領域に家的なしがらみを持って影を潜めて存続していた。

日本のこの家族的な守りに支えられて戦後の復興を成し遂げられたと思う人は多いはずである。家族的な守り、言い換えると集団的な支えによって個人はその中で比較的自由に生きてこられた。その反面、他の仲間より才能のある人はその芽を摘まれることが多かった。なぜなら、家族的な暗黙のお決まり事みたいなものがそこにはあり、そこでは才能があるからといって、年配者を出し抜くということはできなかった。そこには日本的な平等観がある。日本人的な平等観に支えられて、みんな中流意識で働いてきた結果、今日の日本の発展がある。一方で、この平等観は、みんなと違うことをする人をいじめたり、仲間はずれにしたりという状況も生んでしまう。平等観、その背後には個性などないのがよいとされる汎個性的な生き方が望まれる。   

日本人に限ったことではないが、日本人には他人の生活、とりわけ隣近所の、もしくは、芸能人や有名人の私生活がとりわけ気になる存在になっている。それはつまり、自分たちの幸せのひとつの指標になっていること。「私もあんな生活がしてみたい、あんな風になりたい‥」という羨望。

もうひとつは、他人の不幸を覗くことで、自分の今のしあわせをより噛み締めたい、「あのひとに比べたら、私はまだしあわせなんだ‥」という安堵。

日本人は、極めて平等を好む民族である。それは島国で単一民族ということも関係しているのかもしれない。平等を好むからこそ、他人の生活をより気にする民族なのかもしれない。悪く言えば、そのことが、生活の画一化を生み、個性を育てにくくさせている側面もある。

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投稿: 田中 | 2009年5月10日 (日) 08時00分

あがとうございます

投稿: 翼猫 | 2009年5月10日 (日) 13時40分

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