置かれた状況(2)
自分の身の回りの環境が求めているささいなことに耳を傾けてみよう。
環境はあなたを求めている。あなたを必要としているのだ。誰がということではない‥、それは環境があなたに何かをさせようと訴えているのだ、そう考えられないだろうか。
適材適所ということがあるが、ひとは必ずしも適した場所に生きているわけでもない。それには様々な理由が考えられるが、一番の大きな理由は、私たちはひとり一人が抱えるカルマの数が多いので、あれもこれも一度に処理することはできない、ということ。だからこそ、現実に身の周りで起きてくる出来事という課題に対して、ひとつひとつ処理していかなければならないのだということ。しかし、自分一人では処理仕切れない問題が起きてくることもある。そのときは、一旦そこから離れてみるのもいい。まだ、自分にはそれを解決する力が身についていないのかもしれない。手助けしてくれる誰かが現れるのを待たなければならないのかもしれない。
また、自分に起きる出来事に振り回されていては、冷静な判断もできない。それに巻き込まれないためにも、自分についての内省、自分自身について絶えず振り返ってみることも必要だということ、なのだと思う。振り回されていると感じる時こそ瞑想するのにふさわしい機会なのではないだろうか?
呂祖は「自分が置かれた状況を受け容れなさい。それはあなたにふさわしい状況にちがいない。だからあなたはそのなかにいるのだ」と言っている。<存在>があなたの面倒を見てくれている。それは何らかの理由があってあなたに与えられている。それは偶然ではない。偶然に起こることなど何もない。
何であれあなたに必要なものがすべて与えられる‥。
「どうしてこんなことばかりさせられるのだろう? 」
「俺にはもっとしたいことがある、こんな仕事やってられない」
「仕事がみつからない、明日どうして生きていこう‥」
「友達もいないし、結婚もできない、孤独で寂しくて仕方がない‥」
「毎日生きてるのがつらいょー なぜ私は生きているのだろう」
「生きてたって仕方がない‥」
今の自分の置かれた状況に意味がある。もし、そこから抜け出したかった、そうなってしまった状況ででも、自分にできることがある。そこから逃げられないし、逃げられないのだったら、どうしてそうなったか考えてみることだ。考えることもできなかったらその状況を存在があなたに与えた試練と受け止めよう。そこから逃げない限り、その状況は決していつまでも続くことはない‥。
‥あなたがどのような状況のもとにいようとも、それは神が授けた状況なのだから、拒絶してはいけない。それはひとつの機会であり、成長するための好機だ。もしその機会から逃げだしたら、あなたは成長しない。‥
どんな状況も、それは自分に与えられた乗り越えるべき試練なのかもしれない。
以上、太字「黄金の華の秘密:和尚/めるくまーる社」
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