置かれた状況(1)
人は最初から何かをやりたいとか、自分の夢を抱いて生きているのではない。
そしてその夢は現実に叶えられるためにはそのタイミングがある。一体、誰が江戸時代にプロ野球選手になりたいだとか、飛行機に乗りたいなどと思っただろうか。
それゆえに、夢や自分の目標、したいことなどは、その時代背景によって異なるものである。
今、自分のやりたいことが見つからない人のために、ひとつ視点を変えてみよう。
それは、人は自分の置かれた状況からしか動けないし、そこからしか、何も始められないということ。であれば、人が夢や目標を持つのは、それがいつも必要不可欠のものではなく、時の必要に応じて自分にもたらしてくれるものだと思えるのである。
どんな職業に就きたいとかいうのも、始めは漠然としているものである。子供の頃に抱いた夢や憧れが、単なる夢で終わってしまうのは、彼や彼女の環境が現実味を帯びないからである。人は周囲の環境によって育てられる。
それでは具体的な現実味を帯びるにはどうしたらいいか。それは自分自身で具体的な夢や目標を強く願うことである。願うだけでは夢は叶えられないなどと、人は云うけれど、それは結局は、自分の意志がそれだけ強くなかっただけのことだと思う。ポイントは自分自身の心の底から真に願えることしか、夢が叶えられないし、周りの環境も夢が叶うように整っていかないということなのだろうか。どうしても叶えたい願望なら、どんな障害も乗り越えて行こうとするものである。
自分の心の底から真に願えることこそ本者だと思うが、そのような願いは実際にそうなかなか待っていて起きてくるものではない。では、今真に願えること、夢や目標がない人はどうしたらいいのだろう。
私は、① 自分に今できること、 ② 人が考えないことを自分が思いついたらそれを実行していくこと、が良いと思う。
自分が今できることは、言い換えれば他の誰かに今、自分が必要とされていることでもある。その自分の必要性を自分に求められていることを行動していけばよいのである。
もうひとつの、人が考えないことで自分が思いつくこととは、他人がしていることで、「自分ならこうするのになあ‥」といったことがあると思う。その時に、あなたは多くの人の気がつかないことにあなたは気がついている、ということだ。そのことは自分自身の生き方の方向を示しているのだ。それを他人に「こうしなさい、ああしたほうがいいですよ」と説教する人の多いことか。
他人に言う前に、それを気がついている自分が率先してやる。そのことで、周りの人が喜ぶのである。他人に指示して、命令してやらせると、相手はやらされている感じかするし、自発的な行為ではないから、その後が続かないのである。だったら自分がやればいいではないか。
公園のゴミを拾ってゴミ箱に集めているいるご老人を見れば、彼はいうだろう。「私は今自分のできることをしているのです。見苦しいと思ったし、毎朝散歩に出ていてそれに気がついた私がやらねば、誰がやるのでしょう」。
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コメント
ちょうど乾いていた所に染み込んできた感覚です。
良かったです。
それがなんであるか捉えられた後は「なんだー」と
思ってしまいますが、気付いてないことに気付くのは
やっぱり難しいもんだと感じてます。
とは言いつつ、まだまだイガイガ感が残っているので
馴染むのはもうちょっと先になりそうな予感・・
ありがたいです、またお邪魔します。
投稿: flow | 2009年4月19日 (日) 19時11分
はい、いつでも立ち寄ってください。
コメントありがとうございました。
投稿: 翼猫 | 2009年4月25日 (土) 09時44分