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2008年12月 6日 (土)

試練

 私は何故、周りの人たちより不幸なんだろう、と考えたことはないだろうか?

今の自分が他の人たちよりもしあわせなのかどうか、そう考えること自体が自分が不幸なのだという証拠である。というよりも、自分が自分の人生と、誠実に向き合っていないということだ。

そもそも、しあわせかどうかなど、それは他人と比較するような事柄ではない。しかし、それでも私たちは他人のしあわせを気にし、他人と比較し、自分の今ある現実になんとか納得させたいのだ。

人が普通に考える幸せとは何だろう?

親の喜ぶ就職をして、適齢期になったら普通に結婚して、普通に子供が生まれて、普通に子供を育てて、普通に孫ができて、孫の世話をして、病気になったら家族が面倒をみてくれて、あまり苦しくならずに死んでいく‥

どうして、自分の幸福の指標を他人に求めるのだろう? 普通のしあわせなど決してあり得ない。

もし、私は他の人と違って不幸だ、どうして神様は私にばかりつらい思いをさせるのですか? と問うことがあったなら、それはあなたが自ら選びとった道ではないのですか?  と逆に問いたい。

普通のしあわせを選ぶひとはそれで満足していればいいのだ。しかし、この世界は何のためにあるのか、私は何のために生きているのか、たまには考えてみることだ。

 あの世で、自分が今度はものすごく成長した人生を送りたいと、自分でそう思ったとしよう。

そうしたら、神様はあなたに、「少し困難だけどいいかな?」 と問う。

するとあなたは答えて言う。「はい、いいです。構いません」

そして、この世にあなた出てきたとき、いつしか、つらい目に合い続けているうちに

あなたは言う「どうしてわたしにこんなつらいことばかり続くのですか?」

自分の生に向き合うことだ。そうしているうちに、他人のことは気にならなくなる。 他人のしていることに何故そんなに気にかかるのだろう。何故、自分のしていることに、他人の注目を集めたいのだろう? そこには自分の生き方に対する指針とは別の理由がある。

人に注目されたいとか認めてもらいたいとか、それが社会的であたり前な欲求というのは心理学書にも普通に書かれている。しかし、そこにとどまってはいけない。

あなたが、真にあなたの道を歩み始める時、あなたは他人のことが気にならなくなる。良い意味で、人の行動や言動に自分の幸、不幸を左右されにくくなってくる。

なぜ他人に注目されたいのですか? そういう気持ちがあなた自身を不自由にし、大衆に縛りつけてしまう。

なぜ私が和尚に惹かれているのか、そのわけをこのブログを借りて紹介していきたいと思っています。けれど、その意図は、私とともに大衆から、個人へ、不自由な泡のような存在から、結晶化した個人になりたいと少しでも、そう思うようになるひとが一人でも増えて欲しいからなのです。

自分に誠実に、そして謙虚に向き合っていくことが、人を自分自身に引き戻すために大切なことなのです。

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