試練(4)
この世の苦しみの最たるもののひとつに死というものがある。以前にも記しましたが、生かされているこの生が不確かなものであることは明らかです。そのなかにあって、人はお金や権力、地位や名声を得ようとする。そんな一連の野心を抱く自分に虚しいと思ったことはないだろうか?
毎日死んでいく人がいる。それはひとごとではなく、自分が明日、生きていられるだろうか? と逆に問われているのだ。
と、なぜ考えないのだろう。それほど生は不確かなものなのだ。
特に大切なひとを失う悲しみ、これほど深いものはない。それでもこの生に何か意味はあるのだろうか? 人生に虚しさを感じ始めたときから、あなたは不確かでないもの、確実なものをみつけようとする。しかし、確実なものを見つけたい、そういった欲求さえも、自分自身が持つ痛みの原因であることになかなか気付けなかった。今でもその欲求は捨てきれない。
欲求のあるところにマインドがある、自我がある。なぜマインドがあってはならないのか? それはマインドが苦しみの根本原因であるからに他ならない。それは言葉での理解にとどまらず、いくつもの試練を乗り越えた時に、それは初めて実感できるもののように思う。
束の間の幸せを追い求めたいのなら、それもいい。ただ、それに執着する心が、苦しみの原因であることに気づかなければ、人は永遠の泉の入り口にもたどりつけない‥
この世はすべて 束の間の砂で作った城
風に吹かれていずれ崩れ去ってしまう
生のすべては‥‥ いかにして我が家へ帰るか、いかにして死ぬか、いかにして消えるかその訓練に他ならない。あなたが消えた途端、神があなたの中に現れるからだ。あなたの存在は神の不在であり、あなたの不在は神の存在なのだ。
「死のアート:OSHO」市民出版社刊から
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