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2008年12月14日 (日)

本質と実存(3)

この世にあなたを真の自己から引き離すことのできるようなものなど何ひとつない。この生に創造的に関わりなさい。あなたが味わう苦しみや歓びはすべてあなたの人生の物語だ。

  「ヨーギバシャン 真理のひびき:平河出版社」

あなたは最初からあなたであり、最初の前もあなたである。それはこの世界が誕生する以前に存在していたし、この世界が果てた後にも存在するであろう。それが真の自己というものだと思うのだが‥

この世に創造的に関わる、自分の人生を創造する喜びがある。自分の人生はひとつの演劇みたいなものだと、そう感じたことはないだろうか?

あなたは自分で思ったとおりの人間になってゆく。無意識な思い込みも、自分をそのような人間にしていくのだ。

カルマの法則を理解するに連れて、この世の物語性を考えるようになる。

賢者はよく言う、「あなたがたは自分で気づこうが気づくまいがそれぞれが神なのだ」と

その神であるあなたが、自分の人生の物語を創造するのはやぶさかではない。

創造する喜びを見つけ出したときから、あなたは自己の何たるかを知り始める。神の何たるかを思い始める。だが、それ以前ではない‥

あなたが味わう苦しみや歓びはすべてあなたの人生の物語だ。

それは自分の人生の物語だ。自分で作っておいてそれを忘れている。

人生は苦悩がベースだ。基本的な苦しみの上にさまざまなよろこびや楽しみがある。

なぜ苦しいのだろう、その原因を探り当てるとき、それは小さな自分、自我の苦しみ以外にないことを知る。

小さな自分から抜け出そう。本来の自分、真の自己を想う時、ひとは創造的になる。

創造的な自分の物語を作るところに、幸、不幸を超えた至福がある。苦しみも良いものだ、深く物事を考え、味わうことができるのだから…

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ヨーギ・バジャン」カテゴリの記事

コメント

愛は、現実という真実を見据え、そこに創造と言う新たなる礎を築き生み出す以外に道はなく、そこには真実の心と言う愛のエネルギーが必要です。
薔薇は、また再び濡れた。その滴は、涙という沈黙の中の闇と愛だった。

現実の闇の中の沈黙という、愛を知らずに、残酷なまでに密を奪う。

花は震え、また悲しみを覚えた。

愛は真実に目を背けてはならない。
現実という真実をなくして、愛を語るのは、創造という新たなる概念を歪めていく。

私は、以前の生のに、
悲愴という現実の姿に深い悲しみがあったからだ。
悲しみとは、愛の姿に他ならない。
私の絶望という闇は、私と言う存在を、知り尽したかの様な傲慢さで、
私の魂を闇に落とす。

そこに、真実の愛があるか?
闇は、人の心を曇らせ、眼差しから光りを奪う。

あなたの目は、輝いているか?
あなたを取り巻く愛は、本当に輝きを放っていりか?
その、スクリューのエネルギーは、真実の愛なのか?

震える薔薇の小我から…。

投稿: 蜂蜜とざくろと檸檬 | 2008年12月14日 (日) 10時31分

追伸

生まれる前の深い悲しみがある以上は、悲しみの人生であるべきだと、
受容する時か?と私は、思います。

悲しみは、やはり
悲しみのままに生きる。

私は、呪いにかかっている、呪いなのだと伝えられています。

呪いには、愛がない。
愛が生まれる事はない。
と、悲しみの中に思います。

天からのメッセージです。
今、あるそこに
真実の愛があるならば、
愛あればこそ、
愛にしかならず、
真実の愛がそこに
真実として存在するならば、闇には
真という光りが、
注がれるであろう。

原点にたち戻りました。
悲しみを忘れないためにだと思います。

永遠に悲しみ続ける心であり続ける事が、私にとりましては、必要なんだと感じております。

投稿: 檸檬の追伸 | 2008年12月14日 (日) 17時14分

書かされるので、書きます。

以前、暴風雨の最中に
いつもの様に息子と共に電車に乗った。

外は嵐だった。
私は、息子に言った。
『見てなさい、今からママが御祈りをします。嵐を止めますから』と

息子は黙っていた。
車内は、比較的に天候の影響もあり、乗客は少ない。

私の会話に耳を傾けた、仲むつまじい夫婦が、私達の向かいあい座っていた。
私の会話に驚愕の色を隠せない表情を浮かべた。
まさか、という表現が適切かと思う。

静まりかえった車内で
私は、座席のシートから、少し腰を浮かせ頭の後ろの窓ガラスから、外を眺め神に祈った。

『神様、嵐をすぐに止めて下さい。』

ずっと、空を素直に眺めた。
少し、雲の隙間から、光りが出てきた。

私は、笑顔になった。
空は、みるみるうちに
開き、雨足が弱くなり、風が和らいできた。

向かい側の乗客が正面から、窓ガラスを凝視し
驚いた表情で、呆然と空を眺めていた。

私は、微笑んだ。
嬉しかった。

空は、完全に快晴となった。

夫婦は、いそいそと足早に何やら、二人で囁きながら、先に駅を降りて
うつむき加減で頭を傾げながら見えなくなって行く。

私も息子と共に終点で降りた。

私は、天に祈りを捧げた。
朝焼けの星も
日没の星も感応を下さった。

ありのままの私を全て知っていると痛感した。

呪いとは、何処からくる力なのか?

その意味と真実の理由を私は、人生をかけて本質を知りたい。
その、呪いのために…。

震える花の蜜とは、
私の愛です。

投稿: 蜂蜜とざくろと檸檬 | 2008年12月14日 (日) 21時56分

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