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2008年11月21日 (金)

尊敬と畏敬(2)

「シャワリングウイズアウトクラウズ:和尚」(市民出版社)より続く

 だから、畏敬と尊敬は大きく異なる。このことを理解しなさいー 尊敬とは嫉妬の入り混じった畏敬であり、畏敬は嫉妬が含まれない尊敬だ。では、畏敬とは何だろう? あなたは、その人の中に自分の本性のこだまを観ると、その人に畏敬の念を抱く。また、その人の名から自分の野心の成就を見ると、その人を尊敬する。‥

‥そして、その人の中に自分の本性ー 野心ではなく、あなたの本性が映し出されるのを観ると、あなたはその人に畏敬の念を抱く。その人はあなたの鏡になってくれる人、本来のあなたを見せてくれる人、あなたの本性を教えてくれる人だ。

 野心はいつか達成できるものだ。あなたは、あなたの将来がいま起こっている人を尊敬する。それはまだあなたに起こっていないから、そこには痛みもある。彼にはそれが起こっている。だから、嫉妬と尊敬は共存するのだ。

 本性とは何だろう? たびたびあなたの本性というが、それは自分の本質的な部分、実存的な存在の核を意味する。尊敬が、その人をして未来の自分の姿を夢見ることが可能なのに対して、畏敬は取り換え不可能な資質に対して言っている。

 畏敬とは、あなたから奪い取ったものではないものを、私が持っているということだ。‥畏敬の念は、学ぶことはできても剥奪できないものを持っているひとに対して湧き起こるものだ。

と、和尚が言うとき、何をその人から学べるのだろう。

畏敬する人が本来のあなたを見せてくれる人、あなたの本性を教えてくれる人であるというのは、その人が自分の持っている種から花を咲かせたように、その花の芳香があなたに、あなた自身の持っている種の花を咲かせるようにと促しているかのように私には思われた。

 人は、自分の手足で、自分の力で生きているように思っていると、錯覚することもあるけれど、私たちは生かされている存在なのだ。誰に? 本来の内なる自分に、本来の存在の神に‥

狭い自分の殻に閉じこもってしまったら、生き方を間違えてさまよい始めたら、それまでの他人の意見や自分の凝り固まった考え方を一度手放してみよう。

「‥まず本性を正しく知るがいい。そしてその理解を通して、神が望むことを起こらしめるのだ。神は、君が本性から行動することを望んでいる。そして、ただの乗り物になるがいい(和尚)」

 

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