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2008年10月 7日 (火)

内なる異性(1)

 以下は和尚への質問者がどうすれば外側の女性の助けを得て、内側の女性と一体化できるのでしょうか?」と問うたところです。質問者は男性ということで、男性はそのまま、女性は「女性」というところを「男性」と置き換えて読み進めていってください。

 "どうすれば"と考えてはいけない。愛が在るなら、愛は起こる。愛は"どうすれば"ではない。愛はノウハウではない。理由を一切持たずに、ただ愛しなさい。敬意をもって、畏敬の念をもって、ただ、愛しなさい。ただ愛しなさい。

相手に肉体ではなく魂を見て、思考ではなく、無心を見て、相手に無心を見られれば、内側の女性を見つけるのはとても簡単だ。そのとき外側の女性は媒体に過ぎない。外側の女性を通し、外側の女性を経由し、あなたは内側の女性に振り戻される。けれども、相手の外側の女性が肉体にすぎなければ、あなたは遮られる。相手の女性がまさに魂、空、零(ゼロ)、抜け道であれば、あなたを遮るものはない。あなたのエネルギーは後戻りして内側に入り込み、自分自身の内側の女性を見いだす。

 各々の女性や男性が、内なる女性、内なる男性を見い出す外側からの助けとなれる。だが、それに"どうすれば"は一切ない。敬意が必要だ。相手の神聖さという見地から考慮しなさい。瞑想しなさい。相手は神性なるものだ。その姿勢を行き渡らせなさい。その気候を自分のまわりに取り巻かせなさい。それは起こりつつある! すでにその途中だ。 

前著「タントラの変容:和尚」市民出版社

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コメント

こんばんは~!

考えると出来ない事って 多いですよね!  
ただ ・・・する って これが意外と難しいんですよね~ ^^ 

投稿: ささら | 2008年10月 7日 (火) 21時28分

こんばんは、ささらさん
愛とは"する"ものではない。それはただの在りようです。
愛があれば、その他のことは、自然についてくる。多くの人が使っている愛には相手の無心に対する畏敬がない。愛するという名のもとで、非常に多くの欺瞞が生まれた。相手に対する純粋性が感じられなければ、そこに愛はない。その愛は私たちの理解する愛とは違うものではありますが‥
人は自分のいわゆる人間的な愛・する能力に応じた相手しか見つけられないし、感応しない、ということです。

投稿: 翼猫 | 2008年10月 8日 (水) 18時28分

ご丁寧に どうも有難うございます!

私の書き方が悪かったですね ^^

「ただ・・・ 無心で 」 ということを 
愛に限らず総てに関してで 一般論として 
言いたかっただけですので・・・ ^^  

これからも勉強させていただきますね ^^ 

投稿: ささら | 2008年10月14日 (火) 22時22分

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