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2008年9月 6日 (土)

野心と愛(2)

前回の続きです。

 野心や利益という想いを持って愛するなら、達成願望や何らかの動機を持って愛するなら、あなたの愛はそれと同じ割合だけ毒されるだろう。だから、あなたの愛は幸せをもたらさず、苦悩ばかりが生まれるのだ。

 父親は息子のことで機嫌が悪く、息子は父親のことで機嫌が悪い。‥他人のことで機嫌のいい者は、一人もいない。それは愛がないからだ。このいわゆる愛は、他の動機に結びついている。その動機こそが苦悩のもとだ。

 母親は思っているー 息子が成長したら、自分の満たされなかった野心を成し遂げてくれると。息子は。彼自身の願望によって世に生まれた。あなたの野心を満足させるためではない。‥

 誰もが自分の野心や、カルマの束縛を持っている。誰もが自分自身になるために生まれる。わずかでも他人に期待を抱いていたらそれは毒のようにはたらくだろう

 母親は考えるー 息子が成長したら、夫のかなえてくれなかった満たされぬ夢をかなえてくれるだろうと。しかし、息子は別の女性と結婚するー すると彼は、彼女の期待をかなえるだろうか、それとも母親の期待をかなえるだろうか? 他人の期待をかなえられる者などいるかね?  自分の願望は、決して満たされることがない。まして、他人の願望などは満たせない。あなたの愛に野望があるとき、これこそが問題なのだと理解しなさい。問題はあとからやって来るのではない。その種子は、野望の中に存在しているのだ。

以上、「シャワリングウィズアウトクラウズ:和尚(市民出版社)」

 あなたの野望に問題があるとき、これこそが問題なのだと‥ さあ、それは頭の中でしか理解していないことが多い。私たちは、何度も同じ過ちを繰り返す。それは、自分自身が決して自分らしくいられるように生きてきたからではないからだ。親に期待され、周囲から期待され、他人の期待でがんじがらめになった人が、どうして関わる相手に期待を抱かずにおれようか。

自分が自分であるために生きようとする人は、相手に野心を抱いて接することがない。お互いの生き方を尊重できるからです。現実は、相手から期待され、自分も期待する、そうして相手の期待に応えようとしているうちに自分を見失ってしまう。それは親に育てられる段階でもう始まっている。

誰も、他のひとの野心を満足させるために生まれてきたのではない。お互いの野心を満足させることが愛なのではない。そのことと、純粋な愛とは別なのだということを和尚はいっている。誰もが抱きもつ、相手への期待、自分は相手に何を期待し、相手は自分に何を期待しているのか、そのことがわかるだけでも、明らかにするだけでも、それが純粋な愛に一歩近づくことになっているのです。

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