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2008年9月23日 (火)

空の瞑想(1)

記事「永遠の一瞥②」でも紹介しましたが、「光と闇の瞑想:市民出版社」からです。

 この本は和尚の講和録のなかでも、特に112もの瞑想法を全10巻にわたって紹介している膨大なものです。この10巻には瞑想だけでなく、人間の持つ心理的な特徴や、真理の探究者にとって陥りやすい過ちをあますことなく述べられています。 

 この巻は特に空の瞑想だけでなく、キーワードとしての「エゴ」「マインド」「空(くう)」「思考」などを重点に書かれています。空についての瞑想は私が一番好きな瞑想でもあるので、次回に紹介しようと思っています。

 和尚の講和本を紹介している私自身、陥りやすい過ちは、自分がその本によってあたかも知識を獲得したかのような錯覚を起こすことです。何か問題が起きたとき、化けの皮がはがれるような知識は本物ではありません。

 本物の知識とは、あなたに起こった知識のことだ。聞いたわけでもなく、読んだわけでもなく、それについて情報を集めたわけでもない。それは自分自身の知識だ。そこには何の疑問もない。それを得たら、もはやそれに逆らうことはできない。

 情報に頼ってはいけない。その情報源がいかに有力なものであろうと、いかに有力なものであろうと、いかに有力な情報源から仕入れてこようと、情報は情報だ。たとえブッダから聴いたとしても、それはあなた自身のものではない。どのみちそれはあなたの役には立たない。けれども、あなたはそれが自分の知識だと思いつづける。そして、この誤解によって、エネルギーや時間や生が浪費される。

 自分自身の知識とは何か? それは自分の体験のなかから、気づき、自身についての意識の拡大を得るものが本当の知識だ。外部の知識は全く無駄ではない。しかし、それは自分の体験によって自己消化されなければ意味がない。他人からやすやすと与えられるしあわせには限りがあるというのも、それは、自分の意識状態としてしっかり根付いていないからだ。ネットで色んな情報が飛び交っているが、それによって自分が成長するとは思ってはならない。自分が本当に必要だと心から思っている知識は外部の情報というきっかけを得て自分のものになるだろうが、それも日常のなかの気づきを待たなければならない。このことを忘れて知ったかぶりをしてはいけないと思う。

 最後にこの「タントラ秘宝の書:全十巻(原題:ヴィギャン・バイラブ・タントラ)」:市民出版刊について和尚の紹介文をつけておきます。多くの方が、一冊でも手に取って読まれることを願ってやみません。

 「ヴィギャン・バイラブ・タントラ」という言葉、それは「意識を超えてゆく技法」という意味だ。これは至高の教え、教えなき教えだ。もし適切な技法が使われたなら爆発的な成長が起こる。そうした技法は何百万年もの実験を経てきたものだ。

ひとりの人間によって考案されたものではなく、大勢の探究者によって生み出されたものだ。その精髄だけがここに示されている。            

ー 和尚

 

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コメント

こんにちは!!

私も最近そこに気づきましたdanger
人の体験を聞いたり本を読んだりして、自分ができた気になるって
自我のわなだな~と実感ですconfident

いつも拝見させていただき勉強しています。
ありがとうございますhappy01

投稿: Maria | 2008年9月23日 (火) 09時55分

>Mariaさん
コメありがとうございます。
自我を廃さなければ瞑想は成り立ちません。
ちょっと油断すると自我のわなは、至る所に潜んでいますね。

投稿: 翼猫 | 2008年9月23日 (火) 17時22分

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