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2008年7月12日 (土)

自己証明

私たちは、なぜ他人のことが気になるのだろう。隣、近所さんだけでなく、芸能人、海外での出来事や報道‥。外の世界のことはエゴの肥やしになる。他人のしていることは自分もしたい。他人の持っているものは自分も持ちたい。他人の不幸を知ることで、自分の生活はまだましだと確認したい。それらはみなエゴ(自我)の肥料になる。

同時に自分はひとかどの人物になる(みせかけ上)ことで、他人の注目を浴びたい。称賛されたい‥要するに認めてもらいたいのだ。

エゴは自分を認めてもらうためには何でもする。たんに仲間になって喜びや悲しみを分かち合いたいと思っているだけではない。自分がここにいるよって誰かに自分の存在を知ってもらいたいのです。

今日は一休禅師の言葉から、和尚が解説した本を紹介します。一休さんといえば、テレビにでてきた、とんちこ坊主を連想しますが、実際は彼の生き方は周りの人から見れば普通ではなかったらしい。その辺は別の書を探してください。この本は1988年に購入したものですが、これも現在ネットでは見つかりません。あしからず。

以下、「一休道歌:めるくまーる社」から引用

(一休の詩)

みな人のねはん常楽しらすして

生死無常をなげくあはれさ

人々の嘆きとは何か? 彼らの惨めさとは何か? 彼らの惨めさとは、彼らが自我を創り出してしまったことだ。彼らは創り出さずにはいられなかった。なぜなら彼らは自己を知らず、そして人は自己なしでは生きることができないからだ。彼らは自分が誰なのか知らない。が、人は自分が誰なのか知らずに生きることはできない。存在することはできないー ではどうするか? 彼らは偽りの自己を創り出した。

本物を探究することは骨が折れるように思われる。人工的な、人為的な、まやかしの自己わ創り出すことはひじょうに易しく思われる。私たちは代用品としての自我を創りだした。それは私たちに私たちは自分が誰なのかを知っているという感覚を与える偽りのセンターだ。が、その偽りの自己は絶えず危機にさらされている。それは偽りだー。それは絶えず支えておく必要がある。

つねに憶えておくがいい、もしあなたが何かを絶えず支えねばならないとしたら、それは偽物だ。本物はひとりでに存続する。偽物は維持されねばならない。自分が支えなければ消えてしまうと絶えず心に留めておかねばならないとしたら、それはたんにそれが偽物であるという意味だ。

本物は立ち去り得ない。それはどこへも行きようがない。本物は在り続ける。考えてごらん。あなたは何百万もの生にわたって自己自身を見入ってはいない。依然それはそこにある。それはあなたの支えを必要としない。それはあなたの基盤そのものだ。それがあなたを支えている。 それがあなたの支えを必要とするはずはないだろう? が、自我にはあなたの支えが必要だ。

人間のエゴは自分の本来の顔、永遠であるはずの自分自身を知らないが故に、忘れてしまったが故に、作りだされたものだと和尚は云う。私たちが、他人と比較したり、しあわせを確認しあったりしているのは、本来の自分を知らないからだ。そういう視点で日常の物事をみてみれば、私たちの行動の多くが、どれだけばかばかしいものかに気づくのである。私たちは、自分が誰なのかをまだ知らない。しかし、愚かなこと、ばかばかしいことに気づいたら、それに力を貸すのは止めよう。そうすることで、より、本当の自分に一歩でも近づくことができるのだから…

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