« 本質と人格 | トップページ | 自己証明 »

2008年7月 9日 (水)

必要性と愛

和尚がイエスについて副題:隠されてきたキリストについて語った書について紹介します。

私たちが、普段、愛しているというとき、それは相手が必要だから、相手に愛してもらいたいから、相手に認めてもらいたい、受け入れてもらいたいということの裏返しの意味で使うことが多い。私たちのエゴは、まず、誰かに自分の存在を認めてもらい、愛してもらいたいのだ。そういう意味では、この世は愛されたい人の集まりであり、お互いに必要関係で支えられているのが人間である。しかし、イエスの愛は与える愛である。少なくとも、私たちが目指すところはイエスのように愛の人になることのようにも思う。

「愛の錬金術、下巻:めるくまーる」より

誰も自分自身をみようとしない。その眼は他者に向けられる。その耳は他者に傾けられる。その手は他者のほうに伸ばされる。誰ひとり、自分自身に向かう者はいない。誰ひとり、自分に耳を傾け、自分を見ようとする者はいない。

愛は、あなたが結晶した霊魂を<自己>を得たときに起きる。自我があってはけっして起こらない。エゴは愛されたいと欲する。なぜならそれがエゴの必要とする食料だからだ。

あなたは自分が必要とされる人間になるために愛する。あなたは愛しているから子供をつくるのではない。自分が必要とされるためだ、こう言ってまわるためだ。

「私が果たさなければならないたくさんの責任を考えてもみてください! 私の負っている義務の大変なこと! 父親であるというのは大変なことなんです。母親であるというのはたいへんなことなんです‥‥。」

これはただあなたのエゴを美化するだけだ。

この必要とされる必要が落ちないかぎり、あなたは孤であることはできない。

ヒマラヤに行ったとてあなたはそこに社会を創り出す。そしてもしこの必要とされる必要が落ちたら、どこにいようとも、市場の真ん中に住もうと、都会の中心地に住もうと、あなたは独りでいる。

そて、このイエスの言葉を理解するよう努めなさい。

イエス、言う

「選ばれて独り立つ者は幸いである

その人は<王国>を見いだすだろう

なぜなら

人はそこから出てきて

ふたたびそこに戻ることになるからだ」

この言葉ひとつひとつの内部に浸透してゆくがいい。

「選ばれて独り立つ者は幸いである‥‥」

独り立つ というのはどういう人だろう?

必要とされる必要が落ちてしまった人、あるがままの自分で完全に満足している人だ。「あなたには存在意義がある」と他者に言ってもらう必要のない人だ。その存在意義は自分のなかにある。それは他者から与えられるものではない。彼はそれを物乞いしない、彼はそれを求めはしない。彼の存在意義は彼の存在そのものからくる。彼は乞食ではない。彼は自分独りで生きられる。

あなたは自分独りで生きることはできない。

我々は独りでは生きられない。十分に愛された環境で育たない限り、自分を偽ってでも誰かに受け入れたいと思うのだろうか? 愛゛の人になるためには、まずいつも携えているエゴを捨てなければならない。しかし、我々はこの必要関係のなかで、何かを学ぶことからしか始められない。

|

« 本質と人格 | トップページ | 自己証明 »

」カテゴリの記事

コメント

こんばんは^^
いつもお邪魔させてもらっています。

バグワン・シュリ・ナジニーシは
「存在の詩」というものを随分前に読みました。
素敵なかたですよね^^
このイエスの言葉は
ナグハマディ文書にある言葉です。
彼はこの本を引用したのですね。

以前はきっこ&黒にゃんでお邪魔していました^^
これからもよろしくお願いします。
ではでは

投稿: 黒にゃん | 2008年7月 9日 (水) 21時33分

上の名前・・・
打ち間違えです^^
ラジニーシでよろしく。

投稿: 黒にゃん | 2008年7月 9日 (水) 21時37分

黒にゃんさん、こんにちは(^-^)
いつも来ていただき、ありがとうございます。
時々拝見してます。聖書も奥深いものがありますよね。イエスの弟子が本当に目覚めたのはイエスの没後だったかと記憶しています。いまの教会は形骸化してしまい、残念です。
歩む道のりはちがうかもしれませんが、ともに真理を追究していきましょう。
どうぞよろしく。

投稿: 翼猫 | 2008年7月12日 (土) 07時42分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/483880/22181009

この記事へのトラックバック一覧です: 必要性と愛:

« 本質と人格 | トップページ | 自己証明 »