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2008年7月21日 (月)

愛と慈悲(3)

「シャワリング ウィズアウト クラウズ:和尚」より続く

セックスは愛を期待することであり、慈悲は愛を与えることだ。愛は狭間にある。そこでは、与えることと受け取ることが同等だ。これまでセックスで満たされた者はいないが、人は常に慈悲によって満たされる。愛はセックスと慈悲の狭間、その中間にぶら下がっている。そこにはいくらかの満足があり、いくらかの不満も残っている。なぜなら、愛は半分が慈悲で、半分が欲望だからだ。愛は半分半分だー だから喜びの瞬間も多く、苦しみの瞬間も多い。

 残念なことに、九十九パーセントの人は愛を体験したことがない。慈悲など問題外だー それは遥か彼方の夢であり、幻影だ。百人のうち九十九人が欲望のうちに死ぬ。では、彼らの幻想とは何だろう? その幻想とは、自分たちが愛していたと思いこむことだ。

だからもっと考えなさいー あなたが愛を受け取ったか否かを問う前に、愛を与えたか否かをよく見なさい。

セックスと神性の間には梯子が要る。その梯子とは愛だ。

‥一歩一歩、昇りなさい。セックスから愛へ移行しなさい。すると天国のそよ風が少し吹き始める。そしてそれらを見ると、もっと何かが起こり得るという希望を抱くだろう。今日は小さな島だったものが、明日には大きな島になるかもしれない。水の上にもう少し顔を出しなさい。先に進み続けなさい‥‥。求めることから少しずつ手を引き、与えることにもっと注意を払いなさい。分かち合うことだ。

 セックス、愛、慈悲ー これらは愛の段階だ。生には、さまざまなレベルの愛がある。だから私は、愛は神性よりも偉大だと言う。愛の中で昇っていくと、神性に行き着くからだ。あなたは与える者として在るのではなく、ただ与える行為となるー あなたの慈悲がそのようなものである日、与える者が背後に残されていないとき、行為者という意識がないときー その日、その日はじめて、あなたは神性となる。あなたのエゴが落ちる日、その日あなたは神性になる。すると境界は残っていない。そのときあなたは永遠なるものの中に入り、永遠なるものがあなたの中に入る。

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