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2008年7月18日 (金)

愛と慈悲(1)

前のコメントにも書きましたが、私が和尚の本を紹介したいと思ったのは、日本であまりにも取り上げられていない現状を嘆いてのことです。色々な思想家をみてきましたが、覚者であり、かついままでの覚者を取り上げて自分なりに調理するといった手法は彼でなければできないワークだったと思います。

今日は、18世紀の女性神秘家であり、覚者でもあるサハジョの詩を題材に和尚が語った本を紹介します。まずは、この中でも平易に書かれていて、確信に触れているテーマを取り上げてみました。探究者の質問するところからの引用です。

シャワリング ウィズアウト クラウズ「女性の覚者に関する講話Ⅰ」:市民出版社

愛と慈悲の違いは何でしょう?

セックス、愛、慈悲ーこの三つの言葉を理解しなさい。

セックスは愛という梯子の始まりであり、梯子の一段目だ。慈悲は愛の最後の一段だ。愛は梯子全体の呼び名だ。セックスはもっとも地に落ちて、もっとも低い愛の境地だ。セックスとは、私は人から何かを得たい、私は人がいないと不完全だ、私は人がいないと空っぽだ、私は人で自分を満たさずにはいられないという意味だ。‥セックスとはー 私は人を手段として利用したいということだ。夫は妻を利用し、妻は夫を利用している。彼らはお互いを手段として利用している。だから、それほどまでの怒りがあるのだ。誰も手段などになりたくないのだから。一人一人の魂は、それ自体が目的だ。‥

自分のために他人を利用することは欲望だ。あなたは愛について語るだけだ。-

あなたは「愛しているよ」というが、内側では相手も自分のことを愛すべきだと望んでいる。だから人々が私のもとに来るとー 何千人もやって来たが、彼らは「私はいとしい人から愛を貰えなかったのです」と言う。「私はいとしい人に心から愛されています」と言う人には、一人も出会ったことがない。これは興味深い現象だ。来る人はみな「私は、いとしい人を心から愛しています」と言う。決してそれを疑わない。そして、「相手から愛を貰っていないのです」と言う。そして、他の人が私のもとにやって来ても同じことを言う。「私のいとしい人ー 私は愛を捧げましたが、愛を貰っていません。私は騙されてきました。ごまかされ、裏切られた気がします」。そして、しばしば両者がやって来るー 夫婦が、父親と息子が、友人たちがやって来る。そして両者とも、「私は愛してきました」と同じことを言う。真相は、彼らの中で愛したことのある者は一人もいないということだ。いいかね、心から愛したら、必ず同じものが返ってくるー それはこだまを返し、戻ってくる。与えたものはすべて、必ず戻って来る。

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コメント

上へ上へと昇る愛ですね^^

十字架の縦木はそれで

横木は人間性を表してるんですよ。

投稿: 黒にゃん | 2008年7月20日 (日) 23時56分

なるほどね、
十字架は時間と永遠のシンボルともいいますね。
横木が人間ということは、現世を現わしているのですよね。
縦木は、今ここからの永遠への入り口でもあって、十字架は人間と、神性が交わるところだと思っています。
キリスト教では、十字架は悲しいシンボルになってますが、イエスにとっては神への入り口だったんじゃないですか?

投稿: 翼猫 | 2008年7月21日 (月) 10時48分

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