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2008年7月27日 (日)

光と影(1)

前回、影としての自分について述べましたが、では本体である光としての本当の自分との関係はどんなものなのか? それについてわかりやすい比喩で示した箇所があります。比喩はあくまで比喩なので、そこからイメージしたものに縛られてはいけません。哲学的理解を得るために和尚は語っているのではないからです。真実は言葉では表せない、その表せないものをかすかに感じ取るために比喩があるのです。

引用図書:「一休道歌」:めるくまーる社

はじめなくをはりもなきにわがこころ

うまれ死するも空の空なり

 心は、二通りに理解しなくてはならない。ひとつは"こころMind"だ。それは普遍的な"こころ"、宇宙的な"こころ"ー 全体そのもの、存在に満ちわたる意識だ。それは意識する存在だ。それは生きている。核そのものに至るまで生きている。あらゆるものが生きている。あなたはそれを知っているかもしれないし、知らないかもしれない。それは触知できないかもしれないし、目に見えないかもしれない。だが、あらゆるものが生きている。生のみが存在する。

 死は神話だ。死は幻想だ。無意識もそうだ。岩さえも無意識ではない。岩はそれなりに意識している。それは、私たちには手にいれることができないかもしれない。それを知ることはできないかもしれない。というのも、意識的である状態は無数にあるからだ。人間のありようだけが唯一の状態ではない。樹はそれなりに意識している。鳥もそれなりに、そして動物や岩も。

 意識はありうるかぎりの形で表現されうる。この宇宙には、あらゆる表現が無限にある。

 "こころ"は宇宙的な"こころ"だ。それこそ達成するべきもの。仏陀が<無>と呼ぶものはそれだ。彼が鏡のような<空>と呼ぶものはそれだ。

 そしてもうひとつの心がある。私たちが話し続けている"心"小さな"心mind"だ。

そうなると私の"心"は違う。あなたの"心"は違う。人間の"心"は樹の"心"と違はう。樹の"心"は岩の"心"とは違う。そこには違いがある。そして、どの"心"にも限界がある。それはとてもちっぽけだ。

 人は小さなものから限りないものへ消え去らねばならない。"心"は"こころ"のなかに溶けてゆかねばならない。

ここで、"こころ"と"心"の違いに目を向けてみよう‥ 続く‥

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