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2008年5月24日 (土)

永遠の一瞥②

時間とともにあるこの世界は、自我(エゴ)なくしては生きてはいけない。エゴとは欲求のことだと言った。未来に対して何かを実現するという目的があって、その目的のためにエゴがある。しかし、このエゴのために、永遠の瞬間を見逃してしまっている。

はじめてみる景色、山や見知らぬ土地で見る夕日や朝やけに感動したりするのは何故だろう? それは初めての体験だから感動するのだろう。そのとき、わたしの中にエゴはいない。

「光と闇の瞑想:市民出版社」から引用です。

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あなたが静寂であるとき、エゴはない。なぜなら、静寂であるとき、マインドは機能していないからだ。それこそが沈黙の意味だ。

初めて見る光景の前では、私のこころ=マインドは機能を停止する。そのとき感動の瞬間を垣間見る。

しかし、静かになるということは、たまにしか起こらないし、しかも、ほんのしばらくの間だけだ。だからこそあなたは、沈黙の起きる状況を素晴らしいものと感じるのだ。そしてそんな状況を求めるようになる。そこで山へ行き、朝、太陽が昇るのを見つめる。すると突然、歓喜が湧き起こる。あなたは至福を感じ、美が自分の上に下るのを感じる。それはいったいどういうことか。静かな朝、静かな日の出、そして木々の緑、山‥‥そうしたものによって内側のおしゃべりが停止するのだ。その現象が偉大であるからーまわり全体がかくも美しく、平安で静寂であるからしばらくの間、あなたは停止する。その停止のなかで、あなたは無エゴ状態を認識する。むろん少しの間だけだ。

これはいろいろな状況で起こる。セックスの中でも起こるし、音楽の中でも起こる。自分を圧倒するような偉大なもののなかでは、いつものおしゃべりも、しばらくの間押しやられる。

エゴがないときには微妙な至福が感じられるというのだ。

その至福は外側に由来するものではない。山や、日の出や、美しい花や、セックスに由来するものではない。それは外側に由来するものではない。外側はたんに機会をもたらすだけだ。-それは内側に由来するものだ。だから外的な状況を何度も何度も繰り返したら、それは現れなくなる。免疫になってしまう。‥‥慣れっこになってしまう。

自分を至福へと導く感動の体験は外側に由来するものではない。このことはそれによって自分の何かが活性化されたということだろう。誰かに、何かに自分の至福をつい依存してしまうけれど、その至福は自分の内側に元々存在するものなのだろうか?  だとしたら、このエゴが取り除かれる瞬間に人間存在の意識の秘密があるようです。エゴの無いひとときが、永遠に続く瞬間であるならば、そこに生きる魂の本質があるのだと、いつしか私は確信していました。

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