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2008年5月11日 (日)

依存

人間は人の間と書いて、お互いに支えあわなければ生きてはゆけない存在です。

普段、私たちは他人の評価や讃辞を気にします。それは人間には社会的に認めてもらいたいという承認の欲求があるからです。誰かに受け入れてもらえるということが、自分自身の受け入れにつながり、受け入れられたことによって、そのひとは自身の愛情を育むことができ、他人に対しても愛情表現が示せるようになります。この受け入れに失敗した人たちが自分の子供や子孫にまで悪影響を与え続けることになります。

現代は何事も自分の要求ばかり通そうとして、相手の身になって考えることができない人が増えているのも、まだ自分自身が十分に愛情を受けてきてこなかったのではないかと思えてならなかったりします。それは核家族社会のひずみとして、親だけの愛情教育は荷が重過ぎるということ、親自身に問題がある場合、どうにもならないことなどが考えられます。

私たちが生きていけるのは、家族や仲間、身近な人たちの支えがあるからだと思うのですが、それは所詮、依存関係に過ぎません。依存するということは、自分にとって相手が必要であるということ。特定の誰かが゛いないと、心が空虚で何も手に付かなくなるといったことでしょうか。

必要とする、されるという依存関係がうまくいっている間は、何も問題はありません。しかし。病気や事故などで必要な人を亡くしたりしたら、それまで彼や彼女に支えられてきた人は、その後どうやって生きていったらよいのでしょうか。生きている現実は、常に流れています。その人生のなかでいつも自分が必要としている人が居てくれるとは限りません。また、自分に何かあって必要とされていた人と別れねばならなくなったときの苦しみを味わうこともあるでしょう。

人生は楽しい時もあるけれど、苦しみがベースとなっていることを理解しなければなりません。それは人間が動物と神の中間にいるからです。この人間ゆえの苦悩の現実をまず直視しないと先へは進めません。

苦しみをベースにしている私たちは、必要としている人がいないと生きていけないという依存関係からすこしずつ脱却していかなければならないと思います。そのためにはもっと自己の内面を充実していかなければなりません。そのための世の中であり、自分の人生なのです。いつまでも周囲の人間関係に自分のしあわせを依存し続けていてもそれは、至福につながるものではありません。この生だけが良ければ゛それでいいという考えであればそれでいいのかもしれません。しかし、ひとは自分の中の本当の自分自身に行きつくまで生まれ変わる存在です。こころに留めたいことは、人は依存関係から脱却するということが、真の愛情豊かな人になるための指標になっていということです。

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